つながり社会と監視社会

コンビニATMの防犯カメラの話は昨日書きましたが金を取られちゃった話はさておき、どこでも監視されてると言う事実に驚きました。実録:警察24時 カメラが見てるその瞬間

しかも警官が頼んだらすぐ見せちゃう。ATMに監視カメラがあるのは当然だと思うかもしれませんが、ほかにカメラがどこにあるか、こちらにはわからないのです。しかもATMならば個人のキャッシュカード情報やチケット購入状況などいろいろなところにつながりがわかるわけです。顔認証等とセットにすればいくらでも個人の特定ができますし検索だって思いのままです。

なんでこんなことを考えちゃうかといいますとついこないだスノーデンの本を読んだのです。「暴露 スノーデンが私に託したファイル」中学生の息子に頼まれて購入した本ですが私自身はは正直馬鹿にして読んではいませんでした。

ところが先日この本を映画化した
「スノーデン」

と言う作品を見て衝撃を読まねばならないと感じたのです。
CIAやNSAに勤務していた彼はアメリカ政府が個人の莫大な情報監視していることを知ったのです。Google、アップル、アマゾン、Facebookみんな協力してファイルを出しています。それを恣意的に利用できる体制が既にあります。

アメリカが中国の市民監視について批判し中国ネット企業がアメリカに進出することを声高に異議を唱えています。それは中国政府がアメリカ市民を監視することがことを恐れているわけではなくアメリカ政府自体が中国企業の情報を入手できない、つまりはアメリカ政府がアメリカ市民監視が行き届かないことに対して懸念を抱いているのです。ああ怖い。

アメリカ政府は同盟国とは緊密に連携をとりながら監視を進めています。もちろん日本も。そんな背景があっての共謀罪なわけです。PCもスマホモみんなネットにつながって、みんなカメラが付いている。GPSがついている。個人情報も詰まっている。それがマイナンバーとは日にもついてうんたらかんたら。まぁそんなこと言いつつも毎日Facebookに個人情報をあげている私。

皆さんもこの本を一度読んでみてください。明らかにされる事実の衝撃もさることながらこのジャーナリストのストーリーテリング手法もなかなかのものですよ。読ませます。

この本の邦題は「暴露」となっておりますが現代のほうは”No place to hide” 「隠れきれない」と読めば、どこにいても監視されてくる社会の表してる。「隠し切れない」と読めばアメリカ政府の大陰謀か隠しきれずに露呈すると言う意味にも読める。なかなかよい題名ですね。

以上

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リオに想う 「蒼氓」としてでなく飛びたい

リオオリンピックを機に読書会のテーマに挙がったのがブラジル移民を描いた小説でした。
「蒼氓」(第一部) 石川達三著 秋田魁新報社

石川達三を読むのは初めてです。
高校受験の頃、塾の講師(学生アルバイト)が一番好きな作家だと「青春の蹉跌」を紹介してくれました。中学生の私は、なんて古臭くダサい題名なんだと読もうとしませんでした。青春?ぷっ。蹉跌?ダサっ。てな感じ。おそらく蹉跌ってのは辞書ひいたと思います。時は1985年、浮かれたニッポンへ始動を始めた頃です。

蒼氓は大きな歴史の流れを背景にもち、個々の心理を描写しつつ社会事情を映しており、さすがは大作家の片鱗を出していると思いました。当時石川達三は30歳。

ブラジル移民は農村の貧困問題緩和の国策で行われたわけですが、ブラジル側にも当然需要がありました。19世紀末に世界に先駆けて奴隷が解放され、アフリカ出身労働力を失った。代わりに来たイタリア移民はちゃらんぽらんでさっさと農園を去った。で勤勉な日本人の出番。しかも逃げないように家族連れで移民させた。

家族連れゆえにしがらみや葛藤が生じそれが小説の肝になっていますが私に引っかかったのは家族を連れて移民する孫市と徴兵のくだり。

日本農村の実情に限界を感じ、姉を偽装結婚させてまで補助金目当てに家族を作り、やっと手にしたブラジル雄飛への切符でした。日本社会のしがらみを抜けようとする意志と行動力を持つ彼にしても、移民に出るのは徴兵から「逃げたんだろ」との一言でぐらぐら揺れる。お国への忠義という固定観念が頭を離れない。海を渡り拭いさるはずの日本の、その一番の因習が頭に絡みつく。事実としては国を出るわけですが、観念は振り払えない。同じ意志を共有しともに渡航する人びとの狭いコミュニティにおいてすら旧態依然の行動パターンをなぞってみせる必要がある。つまり忠義はあるが誤解をされるのであればそれを解くために移民を取り止める。そしてその年の徴兵検査を受けると。そのの決断に際しては、半ばおのれを犠牲にしてついてきた姉や家族の事情は二の次となる。己の汚名を晴らすため。そこまで強い江戸明治と続く精神的しばり。揺れる想いは政府の意を受けた移民斡旋会社の助監督の、これもみずからの保身のみ考えた甘言つまり移民を大過なく送り届けるという目的の言葉にすがるように言い訳を探す。そして請われる形で船に乗る決意を新たにする。人間の弱さと小賢しさをあからさまにする筆致が鋭く光ります。

現代においてすら日本人は忠義の呪縛から解放されてはいない。対象が国家から企業に変わっただけである。しかも国家は国家でまた先祖がえりを目論んでる。平成もまもなく変わるかという現代ですらいったん社会関係に組み込まれると自由な意志を貫くのは難しいのです。昭和初期の農村出身者にとって海外移民は大きな決断が必要であり、ましてや家族とともにとなれば足枷はたくさん出てきます。たとえ当時の境遇がどんなに辛かろうが国を出る勇気を振るうことを尊敬します。貧農であっても、部落出身であっても、思想犯とされていても、ビジョンを描いて船に乗り込むことに感銘を受けます。そんな意志を持った人たちが船を待つ収容施設に集まったんです。たとえ「落ち葉の吹き溜まり」と揶揄されようとも。

私の曽祖父もブラジルに渡りました。移民としてではなく移民のための学校を建てるための視察です。長野県出身の教育者であった彼の周りにはブラジルに渡った移民が多かったのでしょう。親戚も渡りカソリック神父をしていたと聞きます。祖父が晩年にその足跡を辿りました。

石川達三がブラジルに行ったのは昭和5年であり、曽祖父は視察したのは昭和2年なので少し時期はずれますが時代背景は同じはず。大正デモクラシーが揺らぎはじめて昭和の戦争に向かっていく時代です。彼は夢を果たせずその3年後に若くして亡くなりましたが移民への憧れは私にも継がれています。

ブラジルに渡った日本人は勤勉ゆえに成功した人も多いといいますが、はじめはヨーロッパ出身の農場主(パトロン)が支配するプランテーションシステムの中に組み込まれていたわけであり、過酷な労働を奴隷亡き後に請け負う役回りでありました。現代で言うなら先進国の発展を支える資源を掘る鉱夫であったり、巨大工場で一日中シャツを縫製する工員のような立場であったわけです。それが資産家の富を増やした。一方移民を送り出す役人や斡旋業者はそれと知りつつ淡々と送り出したのです。

収容所から移民船に移りいよいよ出発という段に移民監督が言います。

「こんな大きな収容所を建てなきゃならんというのは、やっぱろ百姓が困っているからだろうなあ」「そうですよ。そりゃそうですよ」と小水が迎合して同じように建物を見上げた。P81

仮に同時代に生きており移民という選択肢があったら私も飛びついたことでしょう。ただ大きな流れの泡屑とならぬようアンテナを高く立ててのぞみたいですね。
以上

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キューバ イファ占いを体験してみたよ

承前

前回記事の続きです。

キューバはなんでもかんでもあっけらかん

キューバのイファ占い体験しました。

 

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キューバはなんでもかんでもあっけらかん

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命のなまりの声を聞け そして叫べ

IMG_4606木村友祐×温又柔
「ニホンゴを揺さぶれ!〜わたしたちの大切な〈訛り〉について〜」
『イサの氾濫』(未來社)刊行記念を聴きました。

下北沢B&Bにて青森のビールを飲みながら。
クセのある濃いビールがしみる。

方言を使った表現が多いこの作品の一部を著者自ら朗読する。ぎこちなく聴こえたはじまりから静かに力強い方言が入り一気に作品の世界に吸い込まれた。南部弁。青森八戸で話されている言葉。彼らの言葉で「イサ」を語る。周囲と溶け込まず暴力沙汰ばかり起こす主人公の叔父イサは蝦夷の血をひいていたのではないか?都に「まづろわぬ」象徴としてのイサ。イサがあばれるのは、中央に征服され管理され続ける従順な東北。東北では大震災への全国からの善意の声に対し感謝を表すのみで、歴史の因縁を含んだ自らの不遇な立場についての違和感はじっと押し殺す。そしてひたむきに日々をいきる。中央が作った支配の構図に組み込まれた東北、辺境、周辺、やもすれば外。そんな諸相が短い文章に詰まっている。それが方言で語られると立体感と熱を帯びる。

この本の出版を後押ししたという歌手白崎映美さんが休憩前に挨拶に立った。小説を雑誌で読んで、東北人としての自分のなかの鬱屈した感情をすべてあらわしているようだと心をゆさぶられ、感情が爆発したという。イサのように叫ぶべく仲間に声をかけバンドを結成したと。

対談相手の温又柔さんは日本生まれの台湾人(三つの言語が響き合う 日本語育ちってなに?)として、中心と周囲の関係を固定化する標準語教育に関心を抱いているという。国力向上のために推し進められた明治以来の標準語普及政策は現在の日本全国だけではなく、当時の版図である台湾など別の海外領土においても同時に押し進められたという。そして標準語の制定者である首都東京と周囲の上下関係が固定化され、東京の政治支配と周囲の人々の精神的な従属感が出来上がったと。

温さんがあげた秋田県にある標準語村のエピソードが印象に残る。(標準語村の生成と展開)明治から昭和初期にかけて都会に出てからみじめな思いをしないようにと先生が一念発起し村の小学校で標準化教育を徹底したという。日本が大国目指して個を捨ててシステム化されてゆくなか、純真な教師の思いもそれとは知らずに組み込まれたのだろうか。

標準語といえば現代中国においても標準語たる普通語の浸透が著しい。この普通語教育が中国に大発展に効率に面で大きく寄与したことは疑いない。

従来から台湾語が福建省の言葉に由来するように、各地方地方は、別の言葉が話され、皇帝の住処たる都との従属関係はあれども独立した文化地盤として存在してきた。毛沢東がピンイン(ローマ字読み仮名のようなもの)を導入し、書き言葉としての中国語を話し言葉としても統一しようとした。昨今の中国経済発展につれて急速に普通語の普及が進んでいる。教育での普通語、テレビでの普通語が功を奏して、私が中国語を始めた15年前の世代と比べ、地方の若者たちのビジネス現場での普通語はかなりうまい。ただし生活に場ではまだまだ現地言葉が優勢であると思う。

中国では歴史上都は北京以外の各地にも置かれてきた。異民族に支配のされたことも度々あるため、一時的に君臨する支配層をしなやかにやり過ごす強さも持っている。戸籍で明確に区別されている農村は別として上海も広州も四川も北京に劣等感など抱いていない。ここが東京一極集中の日本とずいぶん異なる。都市で農村出身者は文明化されていないマナーの点で蔑まれているが、都会秩序をものともしない強さを持っているように見える。言葉についても訛りのきつい標準語をでかい声で叫んでいる。日本人にある恥ずかしいという感情自体が文明化教育に植え付けられたものなどだろうか。
著者はいう。東京に出てきた頃は訛りは絶対に出してはならないものだと思っていたという。今も朗読で方言を使うと、してはいけない悪いことをしているという感覚があるそうだ。でも命の訛りは消してはならないと力強く語る。違和感に行き詰まったら叫べばよいと。

しかしここで思う。
わたしは訛りもないし、東京出身の両親を持つにもかかわらずなにゆえこの物語にゆさぶられているのあろうか?著者の語りに答えがありました。標準語は大きなシステムを動かすためだけに決められたひとつのルールである。すべてのルールやシステムに縛られ、がんじがらめになっている者たちは、閉塞感が煮詰まるのであれば叫べばいいのだと。さがべ!

以上

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中国でうごめく野望を持った男たち(女もね)

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カリブ海文学に浸ってみたら抜けられない

2015年に読んだ本でぶっちぎりNo.1。
「ドラゴンは踊らない」アール・ラヴレイス著 中村和恵訳

去年読んだのですが翻訳発行は2009年、原書は1979年。

トリニダード・トバゴのスラムに暮らす若者たちを描いた小説です。

キューバ旅行あたりカリブ海文化を知りたいと手に取りました。同じカリブ海でもスペイン、影響が大きく白人が多いキューバ、元イギリス植民地で黒人、インド人が多いトリニダード・トバゴ、ふたつに共通するのは、奴隷貿易、プランテーション、カーニバル。

丘の上のスラムに住む若者たちの今を生きるたくましさの中に、数世紀にわたる歴史の因縁、呪縛、解放がほとばしり出てくる。IMG_8852

序章の数ページを読んだだけで惹きこまれました。訳者註が面白過ぎてページがすすまないのに困りました。

訳註 8 神秘的な純血性

トリニダードの住人は、奴隷としてつれてこられたアフリカ人の子孫と、年季労働者として移民してきたインド人、この二大グループを中心に、先住民、フランス人、イギリス人、中国人、ほか多くの異なる人種・民族が混じりあう、混血性の高い人々である。反語的な比喩。

キューバとの一番の違いはインド人の存在かな。奴隷解放後に、宗主国イギリスが連れてきた。

数ある魅力的な登場人物の物語で私が一番の打たれたのがやはりそのインド人の話。人種がモザイク状に絡み合う世界の暗黙の秩序から飛び出したい若者たちの中でも異質なのがインド人。

スラムで生活しつつも溶け合っていない。サッカースタジアムの喧騒でも一緒になれない。黒人たちの仲間に入れない。

クレオールという言葉は多くの意味があるが、カリブで生まれたアフリカ系黒人たちを意味すると訳註にある。でもインド人はカリブ生まれでもそう呼ばれないという。カリブでは黒人は混血に度合い、つまり色の白さの度合いによって秩序づけられているそうだがインド人は蚊帳の外。

インド人のバリアグは田舎を出て街のスラムに住み、いつかの成功を夢見て働きまくる。スラムの住人たちにひとかどの人物として認められたいから。少なくとも存在を認識してもらいたいから。彼の一心不乱な働きぶりに胸を打たれます。私も外国で旅する高揚感の一方にある疎外感と孤独をよく感じてますので異文化の中でのもがきに感傷的になります。

彼はついに成功するんです。ピッカピカの自転車買ってスラムに帰る。結果としてさらに排除が始まる。異質で無視されるだけでなく、秩序を壊す異分子として扱われる。悲しすぎる。

序章にもありました。

「貧しさという鍵、それは魔法で守られたメダルだ。
中略
彼らは奴隷制プランテーションのど真ん中で抵抗した、タバコとコーヒーと綿花とサトウキビの中で、自分たちの人間性を主張したのだ、考えうる限り、実行できうる限り最もすばらしい抵抗、サボタージュの行為によって。」

著者はいう、「怠惰と怠慢と無為の三位一体を信奉するあの抵抗の宗教」だと。

バリアグは成功すること暗黙の秩序を破った。彼は疎外されていただけに感じていなかった。誰もが不満を感じつつも秩序にすがり、諦めにある種心地よさを感じていたことを。結果としてのさらなる排除。

このバリアグのあがきと虚無は大きな物語の一部に過ぎませんが私の胸をえぐりました。

地球を半周するほどの歴史のうねりと何百年も折り重なった末の文化の混淆と膠着による秩序。若者は、時代は、それを破壊したがる。バリアグが苦闘する一方でクレオールの若者たちも時代の趨勢と秩序の微妙な変化の中で自らを爆発させる時を待っていたのです。

今はどうなっているのだろうか?
物語から30年以上へたカリブは。混沌か、膠着か。

以上

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こどもたちって誰なのさ?

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「流れる星は生きている」なんて美しい題名なんだろう

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読んだだけでも揺さぶられましたよ ブラックミュージックの魂

「魂を揺さぶる歌に出会う」岩波ジュニア新書。
骨太な内容です。
題名最高。装丁もよし。

アメリカ黒人カルチャーの悲しい歴史と生き抜く術、そしてチカラ。

「奇妙な果実 Strange Fruits」って知ってます?

トロピカルフルーツじゃないですよ。
木から吊るされた黒人の死体。
白人にリンチされて見せしめに。

このほとんどがぬれぎぬであったといいます。
ビリー・ホリデーはそれを歌った。
そんなに昔じゃないですよ。

ヌレギヌのほとんどが白人女性に対する性的暴力。

このヌレギヌというのが黒人ソングに今でも出てくるという。
マイケル・ジャクソンのビリー・ジーンのPVなんかも
マイケルがファンから妊娠を告げられていたことが影響してると。

そんな歴史を経ていると、白人の価値観を逆転させるようになる。

GoodがBadに。
マイケルのBadもいい奴なんです。
奴隷制において品行方正は主人にとっていい価値観
本人にとっては一生隷属決定。つまりGoodなことじゃない。Bad。

そんなこと知らずに真似して喜んでました。

黒人に伝わる民話もいくつか紹介されてます。
白人の主人をダマして川に沈めてめでたしめでたし。
白人のモラルをぶち壊して自由を勝ち取る。
価値観の逆転。

民話の中で黒人は悪魔にも勝つのです。
それは神に対する恐れがなく無垢だから。
悪魔は恐れがあって初めて強さを発揮。
価値観の超越。

ただ現実のメジャー音楽業界ではそんなに簡単ではなかった。
この本の巻末に紹介されている本を読んでみた。
「マイケルジャクソン現象」1985年刊。

当時は日本も洋楽ブームでマイケルに熱狂したのです。
MTVのビデオを競って観てました。
でもマイケル以前はMTVで黒人ソングが放映されることはなかった。

なぜマイケルは許されたのか?

カワイイ黒んぼになって白人の愛玩物になることが重要だと。
強烈な指摘。
不安感を催させないことが肝要だと。

ゴスペルがブルースと融合した
ソウルと呼ばれる黒人音楽にも種類があり
黒い要素と白い要素の混じり合いの程度でわけられるといいます。

黒っぽいソウル
オーティス・レディング
サム&デイブ

白っぽいソウル
シュープリームス
マービン・ゲイ

本書にはもっとたくさん例がありますがこれで長年の違和感が解消した気がします。
Ortis Reddingに圧倒され、同系統のアーティストをソウルで探しましたが
どうにも見つからない。ソフトすぎるんですよね。白っぽいのは。
この分類を知った今なら見つかるかも。

ソウルでもっとも商業的に成功したのはモータウン。
白人ポップスと簡単に妥協したんだと。
そこからマイケルが出るわけです。

去年、黒人音楽の素晴らしい力を知った映画がありました。
バックコーラスの歌姫たち
20feet from stardom

彼女たち、もう一歩でスターになれなかったのですが
実力が半端ない。スクリーンを通しても伝わる力があります。
歌唱力やリズム感が圧倒的。

私にはステージで歌うスターの方が
彼女たちの前では、正面から勝負するのでなく
奇をてらった歌唱法を取るしかなかったのではないかと疑いたくなっちゃいます。
デヴィッド・ボウイとかブルース・スプリングスティーンとか。
ミックもそうかな。

でも音楽の才能より、ビジネスがものを言う。
いつの時代も。

以上

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