ナイーブでもいいじゃないか

雲は答えなかった 高級官僚 その生と死

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 是枝裕和監督のノンフィクション。環境問題に取り組んだ高級官僚の自死を追う。この本を書くきっかけとなったテレビドキュメンタリー作品があったのは聞いていた。「しかし・・・福祉切り捨ての時代に」興味はあったがでも手に入らなかった。「水俣」のキーワードが引っかかり読んでみた。昨年、水銀使用と貿易を禁ずる世界合意水俣条約が発効した。なんで今更水俣が?と何も知らない私は、過去のこととして認識していたが、環境汚染について触れる機会が多くなった今、現在においても水俣補償問題は続いていることを知った。ただ問題が重すぎて横目で見ているだけだった。映画作家の是枝さんなら問題点を流れの中で要領よく捉えてコンパクトに表現してくれるはず。期待を大きく超えてドラマにのめり込んだ。ノンフィクションってのはドキュメンタリー(実録)ではなく、ノン・フィクションつまり作り話ではないというだけで、ここまでドラマチックに物語を構成できるんだと感心した。

 公務員一級試験第二位のトップエリートの少年時代からの来し方を主軸に置きつつ、日本の経済発展の歪みたる環境汚染の歴史を背景に、住民、政治家、官僚機構の絡み合いを描く。法律の枠組みの中でも住民への目配りを忘れずに、行政をすすめる。時代のうねりで現実が想定を超える速度で変化する。法律が追いつかない。官僚の出世争いが渦巻き、組織的にとってかしこい調整能力が試され、政治家の自己顕示欲もくすぐらねばならない。経済成長というお題目のもとでの既得権保護が進められ、合法的処理という名の安易な妥協が繰り返される。幼少時から秀才と言われた主人公は詩作もよくした。そんな彼が、国民、住民にとって何か確実な便益となるのかに悩みつつも倫理と法律に基づいて最適解を探して行動してきた。市民に寄り添いつつも結果を出す有能な実務家だった。戦後最大の公害問題と言える水俣では、和解を拒否する国の交渉責任者として事に当たる。自作の詩をノートに整理している彼は、住民を犠牲にして清濁併せ呑むには少しナイーブすぎた。「雲は答えなかった」という本書の題も彼の創作ノートに記されていたものだ。彼の作品は1度も入選しなかったようだがどれも胸を打つ。友人が弔辞として朗読した「遠い窓」は特に響いた。

遠い空

私の心にある遠い空

いつかは

この窓から外を

眺めてみようと思う

と、淋しい言葉だが

ああ遠い空

ナイーブでいいじゃないか。大きな歴史の中にあっても、感じやすいほどの繊細さからくる行動や言葉が、小さいかも知れないが時代の変化にゆらぎを与えるはず。

先日、映画を観た。マイケルムーア「華氏119」。トランプ大統領を生み出したアメリカの貧困と政治家の住民軽視を描く。マイケルの故郷ミシガン州フリントの現実がひどい。企業経営者出身の知事が仲間の利権を優先し,水道水供給パイプラインを付け替える。黒人が多い貧民地区の水道水は目に見えるほど劣化した。その後、有毒鉛成分が含まれていることがわかる。これには地元企業のジャイアントGM(ゼネラルモーターズ)も怒った。自動車洗浄ラインに汚染水が入り腐食した。政治家のパトロン企業が圧力をかける。するとすぐにパイプラインをもとに戻した。GM向けだけ。飲料水はそのままなのだ。しかも知事は鉛汚染を隠蔽する。世界一の先進国アメリカですら水俣と同じじゃないか。いわんや成長まっしぐら中国おや。実はこの本を中国出張中に読んでいた。中国の急速メガトン成長の歪みたる環境汚染は、国内だけでなく地球全体にまで影響を与えている。国家を率いる共産党の政策課題のうち環境問題はトッププライオリティになった。その政策実行過程においてもきっと優秀な能吏が様々な調整を行っているのだろうと思いをめぐらす。先進国の経済成長過程での失敗を徹底研究して間もなく世界一の経済大国となる中国、住民たる人民に見放されると帝国は滅びてきた。国家と人民をつなぐ官僚ひとりひとりにも彼らの哲学があり、嘆息があり、時に絶叫がある。古代から詩として、その叫びが繰り返し詠じられてきた。彼の書いた「遠い空」のように。

以上

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巨大システムアメリカを回す人々

なんどもアメリカに行くよりこの一冊を読むほうがアメリカの本質に迫れるはずだ。そのアメリカは1つの巨大システムといえる。資本主義を回すために配置された個々が意識するしないに関わらず轟々音を立てつつ役割を果たすのだ。

邦題にある「ビリー・リンの1日」とは、イラクの戦闘で英雄となった兵士が、厭戦気分の国民戦意高揚のため一時帰国し、アメフトマッチのハーフタイムショーに参加するまでの長い長い1日を描いたもの。やはり凱旋帰国して戦意をもり立てたクリント・イーストウッドの映画「父親たちの星条旗」にもつながる状況設定だ。父親たちの星条旗

原題はLong Halftime Walkである。アメフトゲームとそれを取り巻くビジネス、目の前の金と名誉を求めてギラついた人々、エスタブリッシュメント、富と力を栄養に凝縮させてつくりあげたアメフト選手たちの肉体、アメフトこそがアメリカ資本主義のの象徴、これらを兵士ビリーの目を通して描く。浮かび上がる国家の真髄、自らの兵士たる存在意義であったはずの国家、刻一刻と進む時を描写する1行1行がアメリカを剥き出してぐいぐい迫ってくる。

止むを得ない理由で軍に入り、イラクの実情を虫の目から知り、FOXテレビの戦場同行カメラクルー映像から意図せずに英雄になったビリーは、常に引いた目でアメフトに熱中する人間たちを観察する。引いた目を持てたのは戦友から読書を薦められたからだ。アメフトの熱狂する大衆の姿が、国を戦争に駆り立てる選挙民と重なる。想田和弘監督の観察映画「The Big House」の世界を観ていたので軍と緊密に繋がるアメフトの世界がよく理解できた。

 一方で凱旋兵士うちにはいわゆる正義のアメリカに没入する仲間もいる。そして彼らがハーフタイムショーに参加して応援するのはカウボーイズ。世界のカウボーイであるアメリカ。作者がこの小説のアイデアを得たというビヨンセのショーはいまもYoutubeで観れる

観衆は熱狂し、強いアメリカに歓喜し、日常の世界に戻っても強い国家の正義のを信じ続ける。普段の生活がうまくいかないのは何か邪悪なものが邪魔しているからだなんて時に宗教がかって。この熱狂にカネが注がれ潤滑油となって巨大な歯車を回していく。時に周りを踏みにじりつつ。

以上

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フランスサッカー国民統合の象徴からの転落

ロシアワールドカップでのフランス代表Les Bleus 優勝の興奮が冷めやらぬ今日この頃、いや日本ではもう甲子園やらオータニさーんに関心が移ってるかも知れない。でもワールドカップ優勝ってのはその国にとっては歴史的大事ゆえ今後何年もいろんな影響を及ぼす。フランスは20年ぶりにエトワール(étoile 星)をもう一個追加したのですが、少し前2010年南アフリカ大会ではどん底にいた。フランススポーツ史上最大の汚点と呼ばれる事件が起きたのだ。と言いつつ私が知ったのは今大会中にネット見ててのこと。

興味をそそられたのは98年大会の栄光から僅かの時を経てどうして崩壊したのか?そこから這い上がりトップに立つまでに何を修正したのか?特に知りたかったは民族の融合のこと。98年は国家の名の下に融合したBlack Blanc Buer(黒人 白人 アラブ人)が勝利を掴んだ。そしてチームは国の統合の象徴になった。でもすぐに幻想だったと言われる。その後どん底に落ちて、今回はチャンピオン。でもアフリカの優勝と言われた。この間に何があったのか?

«Le livre noir des bleus, Chronique d’un désastre annoncé »

邦題は「レ・ブルー黒書 フランス代表はなぜ崩壊したのか」

直訳 「フランス代表黒書 予言された破綻の記録」

フランス代表はユニフォームが青いことからレ・ブルーと呼ばれる。知らない人には副題なしではなんのことやらわからない。

2010年南アフリカ大会グループリーグ。ウルグアイに引き分け、メキシコに負けたあと開催国南アフリカ戦を迎える前に事件は起きた。南アフリカ戦で4-0以上で勝たないと決勝トーナメントに行けないという崖っぷち場面だった。事件の原因はメキシコ戦にあった。ハーフタイムにロッカールームで選手が監督に暴言を吐いた。内輪揉め。ただこの閉鎖空間の話が外に漏れた。翌日のスポーツ紙の一面を飾ったのだ。協会は直ちに批判したアネルカ選手の追放帰国を決定した。選手たちは憤慨する。仲間を追放か?誰が漏らしたのだ?チームに不協和音が鳴り出した。

そしてつぎの南ア戦を2日後に控えた公開練習日を迎える。その日は朝から生放送が入っていた。フランスにとってフットボールは一大事。ましてや優勝経験のあるナショナルチームのこととなれば国民の大きな関心事。そんななか代表チームの練習ボイコットは起こった。勝利が至上命題であったチームが移動バスから出てこない。全員練習ボイコット。国民の目の前で。理由はアネルカ追放に抗議すること。ちなみに彼が放った言葉はあきれるほどレベルが低い。

「オカマでも掘ってもらえ、うす汚ねえ売女の息子め!」

それを載せる新聞もアホすぎる。

本書はこの崩壊に至る歴史の因果や、チームをサポートするべき協会、OB、国家、政治家、サポーター、メディアのここへ至る混乱とほころび、さらには選手一人一人の因縁を解き明かしてゆく。筆者は代表取材歴20数年のスポーツ紙記者。ともかく熱い熱い筆致でひつこく細かく因縁の糸を解いてゆく。フランス人のフットボールへの熱量の大きさを思い知る。

監督ドメネクは、長期政権で成績が上がらないにもかかわらず協会内の政治バランスの結果残留しチームでは求心力を失っていた。代表メンバーも強力なリーダー不在でキャプテン、エヴラもまとめられない。結束力はなくなり分解直前であったとう。象徴的なのはスーパースターアンリ。W杯4回出場、歴代得点王だがピークを過ぎていた。大会前に監督は引導を渡しに行ったが逆に説得されてアンリを再度選んでしまう。かつてのキャプテンは控えに回り、特別な地位は守りつつ、チームのことより自分優先。フランス語で代表監督はsélectionneur という。選ぶ人。その最高責任者が優柔不断な決め方をした。しかもその監督のポジションは大会後に交代することが決まっていた。求心力はもうない。

そもそも長期になった理由は協会内のバランス。98年優勝メンバーが指導者年代になっていた。でも旧世代の嫉妬から98年組が中心になるのを妨害されていたそうだ。例えば82年大会で活躍したプラティニなんかが保守勢力。ロシア大会の監督デシャンは2008にも候補に挙がっていた。優勝したらしたでやっかみの対象になる。

手綱を引けない監督のもとチームは独りよがりの集まりとなる。著者曰く、最高のプロ集団であるべき彼らのサッカーは校庭レクリエーションになってしまったという。

では民族間の対立はあったのか?

著者は断言する。

「人種間の融合がうまくいかなかっただの、宗教の違いだの、世代間問題だなどと言う他の読み筋は、それを利用したい者達の不健全な“エセ議論”に過ぎない」

「ムスリムがパンツ姿でシャワーを浴びようが、誰も困惑などしていないし、せいぜいハラル肉を食事に追加する程度で、それ以上の問題なら起きはしない。ジダンが、フランス代表に来るたびに特製パスタを作ってもらっていたのと、どれほどの違いがあるだろうか?」

「フランス代表の抱える問題は、ナショナルアイデンティティー問題などより、はるかにナショナルインテリジェンス問題だったのだ」

要はおバカだと言いたいのだ。

フランスは多民族社会であり特に旧植民地からの移民は数多くいる。アルジェリアなど北アフリカからはアラブ系、例えばジダン。サブサハラのアフリカからは黒人が来る。例えばティガナ。カリブからも黒人がやってくる。アンリやチュラム。彼らはもちろんフランス人。フランス語を流暢に話す。でも本書にもあるようにやっかみもある。

「黒人やマグレブ人が多すぎてフランスのような気がしない」

でもフランスでは国として出身地域別に人口統計を取らないそうだ。出身地域がどこであろうとトリコロールのもと団結する。これが国の理念。

著者も事件について語るとき、選手個人の容姿つまり肌の色について触れずに記述している。それは誰もが知る代表チームのことゆえフランスでは自明のことだからか、記述すると差別を助長することになるからか。私はそこに興味を持ちつつ本書を読み進めたが、キャプテン、エヴラが黒人であるのを知ったのはずいぶん終盤になってからだった。私が人種問題に興味を持ったのももしかしたら偏見付きの野次馬根性的なものに過ぎず、フランスフットボールにおいての融合はその世界の中にいる人間にとっては意識すらしないほどに進んでいるのではないかと夢想してみる。

フランスは優勝した。チームとしてまとまった黒人の活躍が賞賛された。エムバッペやカンテはスーパーヒーローだ。ドイツは負けた。エジルは自らの出自への協会の差別があるといい代表をやめた。

著者も言う

「美しき一大叙事詩に向かっていくチームと壁に激突していくチームの違いは、フットボールの世界ではあまりに微妙だ」

最高レベルの現場ではディテールの違いが大きな差を生んでしまう。最高のインテリジェンスがコレクティブに力を発揮すれば勝てる。しかし細かなすれ違いが失敗につながり敗北を招く、敗北が問題をさらに大きくするデフレスパイラル。

勝利では回転が逆になる。

フランスの今後のさらなる活躍を期待する。

以上

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正解がコモディティ化する世の中で


現代は論理的正解がコモディティ化してるという。そんな社会では誰もがシステムの中で己を最適化しようする。しかし実際の社会は変化と多様化の時代に入り、既存のシステム自体が機能不全となっていることもしばしば。エリートは、真の目的を失いつつあるシステムの不備に気づきつつも、そのシステムから大きな便益を受けている改革を起こそうとしない。論理に基づくサイエンスからみると損であるから。そこでアートを身につけて変化への感度をあげ、美しさを求める倫理と感情を豊かにする必要があるという。

巨大なシステムが効率を旨として高速回転するなかで倫理はどこかへ置き去られシステムの中でのみ通ずる論理がトッププライオリティとなる。本書ではナチスのアイヒマンの例があげられる。毒ガスで殺しまくってもオレは命令されただけだと本気で言ってしまう。

オウムの事件では偏差値社会でエリート階段を進んでいた精鋭たちが、陳腐な思想にどっぷりハマってしまう。これはなぜなんだ?受験を勝ち抜いたエリートを迎えた社会は教科書通りにはできていない。サリン事件は1995年、バブル経済が崩壊し、日本的成長システムが機能しなくなった時期だ。そこで挫折したエリートたちの一部がオウムに救いを求めた。そこでは単純明快な出世システムがありまっしぐらに段階を踏んでいけば幹部になれる。詰め込み型受験と同じです。そこにはアート的なセンスが全くなく、論理に基づくサイエンス的システムだけがあったと言います。偏差値的エリートは論理が通じなくなった社会で疎外され動揺し、オウムのシンプルなシステムに救われたと感じた。

オウムの本部は私の実家から遠くなかったので注目される前からよく知っていた。でも完全見くびっていた。白装束でラッパ吹いて街を練り歩き、衣装の色合いも音楽もひどいものでショーコーの着ぐるみはお笑いネタでしかなかった。つまりアート感覚なし。あんなものに引っかかるやつがいるなんてと際物扱いしていた。事件後の取材でオウム幹部たちは文学をほとんど読まないことがわかったと本書にある。アートへの感度がないまま、彼らは教団のシステムに適応して行くことに喜びを感じ、世の中から乖離していった。そして似たようなことはどこの組織でも起こってる。オウム7人の死刑執行を恣意的に選んだようにみえる法務省はシステムが機能しているのか?アート感度がないのは間違いない。

本書と同時期に、パラダイム理論で有名なトーマス・クーン著「科学革命の構造」The structure of scientific revolution を読んでいた。

科学理論においてひとたびパラダイムが出来上がるとスーパーエリートが組織的に理論の整合性を取るために一心不乱に細かな実験を猛スピードで行い科学を高速で進歩させる。それは科学の進歩において大きな貢献をした。ただそのパラダイムでは理論に合わない結果は実験の失敗とみなされ一顧だにされない。これがサイエンスの世界。ここから革命が起こるのはこのパラダイムの延長ではない。そのパラダイムでは説明不能なもの多くなり危機を迎え、別のパラダイムが形成される。前のパラダイムで、次への橋渡しをしたのはアートセンスのある人物だったのかも知れない。

社会のほころびや揺らぎをいち早く感じ取りさまざまな方法で表現するアート。多様で複雑な世の中で生きるためにアートに触れる。いいかもしれない。なにやろっかな。毎日、詩でも読むかな。

以上

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道ゆく人に歴史あり

「オープン・シティ」 テジュ・コール
ラジオでこの本の紹介があった。表紙が素晴らしいと。世界地図を取り巻く様々な種類の鳥たち。すべて種類が違う。でもこの鳥たちは遠くの空を飛んでいると群れをなしているのが見えるだけでどの種類の鳥かはわからないない。本文にある。鷦鷯、高麗鶯、風琴鳥、雨燕。どれも知らない。

物語の主人公はナイジェリア人を親に持つ精神科医。ニューヨークに住む彼は頻繁に散歩して町の風物や人びとを観察する。やさしい眼差しで、道行く人たちの来し方を想像したり、時には会話をしたりして彼らの来歴に触れる。主人公自身もドイツやナイジェリアで暮らした経験をもち、父母の経歴ゆえ複雑な環境で育った。街を歩く人びとも様々な由来を持ち、それぞれが異なった物語を持っている。そんな物語が交差する都市がアメリカ、ニューヨーク。

彼は街を作ってきた歴史の跡にも思いを寄せる。911で破壊されたのはWTCだが、その場所ではそれまでの歴史においてさまざまなものが、人が連綿と破壊され続けてきた。ツインタワーの建設前には賑やかな通りがいくつもあった。活気あふれる市場もあった。シリア人キリスト教信者のコミュニティも消えた。その昔は先住民たちも闊歩していたが、たくさんのものとともに消えていった。その上に街がある。そして新たに人がやってきた。

アフリカからは奴隷が連れてこられた。奴隷の末裔たる黒人はこの500年の歴史を共有している。エリート階層である主人公も同じように民族の歴史を背負っている。あるとき土砂降りの日に待ちくたびれた末、タクシーに乗った彼は、黒人運転士の「ブラザー!」との呼びかけを、疲労のためんに聞き過ごしてしまった。苦難の歴史を共にしたブラザーの声を。そして運転士に冷たく強く非難される。ブラザーにはそんな態度とるなと。

大きな潮流の中での人間の小さな機微を繊細な筆致で描く。群衆一人一人に民族の歴史が凝縮されてる。しかしそれは個人がそれぞれの形で持っている。一文一文が愛おしい、時に悲しく、重い。個人個人の物語は時に交わるが各々が自分勝手な解釈で物語を記憶する。ストーリーテラーの筆致は油断すると鋭くえぐってくる。

私は海外で様々な出身の人と接する機会があり、彼らの波瀾万丈記を聞くのが好きだ。先日インドネシアで聞いたのも歴史がつまった話だった。彼の先祖は中国福建から渡って来て土着化した、いわゆるプラナカンだ。「お父さんは何やってたんですか?」気軽に聞くべきでなかった。戦時中は占領していた日本軍に徴用され炭鉱で働いていたそうだ。彼の父親は身体が弱かった計算ができたので肉体労働でなく、会計の仕事についた。死んだ労務者を数えるのが業務だったと。ロームシャって言葉はそのままインドネシアで通じる。戦後インドネシアは独立するが軍部と共産党が激しく対立し、そこに民族主義と華僑排斥も加わった。国を出たり戻ったり。今は成功者だが壮絶な歴史を背負って歩いてる。人に歴史があり、往来があり、ビジネスがある。忘れてはならない。

以上

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翻訳できない愛のことば

「翻訳できない世界のことば」と言うスーパー面白い本がありますが、

先日読んだスタンダールの古典「恋愛論」にもそんなことばの例が出てきます。

フィレンツェの恋愛事情についての章にて
改行は私が。

私は今夜、イタリア語には、恋の種々の特殊な場合をそれぞれ言い表す名詞があるのに気づいた。

フランス語なら際限のない回りくどい言い方をしなければならないところだ。

たとえば、手に入れたいと思う女の桟敷について、平土間から色目を使っている。夫か召使いが桟敷の欄干に出てくるその瞬間、とっさにわきを向く動作。
P208(新潮文庫 大岡昇平訳)

ギラギラさせて人妻を見てるのに、旦那が出てきたら、しれっと横を向く動作。こんな動作が逆に貴婦人を刺激するのかな?

そんな動作をあらわす単語があるってことは常に人妻に色目を使ってるってことですね。今でもあるのかなこのことば。誰か教えて。「翻訳できない愛のことば」なんて出したら売れるね。イラスト充実させてさ。しれっと横向くとこは絵にしないと伝わらない。

ところでスタンダールはフランス語で書いてますので原文を見てみよう。読んでみようではないところがミソ。

De l’amour

“Je remarquais ce soir qu’il y a des noms propres en italien pour mille circonstances particulières de l’amour, qui, en français, exigeraient des périphrases à n’en plus finir : par exemple, l’action de se retourner brusquement, quand du parterre on lorgne dans sa loge la femme qu’on veut avoir, et que le mari ou le servant viennent à s’approcher du parapet de la loge.”

ちなみにこれに続く社交界でのおしゃべりにについての言及も秀逸。

causerie(おしゃべり)ってことばはイタリア語には訳せないという。つまり虚栄心のためだけにどんな話でもする習慣は(フランスにはあるけど)イタリアにはない。イタリア人は情熱をむけた対象にのみしゃべり続ける。おそらくは身振り手振りを使って。

 

以上

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「幸福な水夫」を読んで父との旅を思い出す

「幸福な水夫」木村友祐著 左右社

限定装丁バージョンが素敵だとは聞いていたけど想像以上にかっこいい。透かしのカモメが飛んでる。1番驚いたのはメインイメージが表紙の裏に彩色されてたこと。

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年老いた父親を連れて兄弟2人が下北半島の旅館を訪れる。不機嫌な父親、意地をはる父親は、これまで戦後成長をひた向きに生きてた。旅館にたどり着く前に通り過ぎる、巨大な空き地や発電所といった無機質な東北の風景が父親の苦労と重なる。アメリカがあって東京があっての東北か?東京をアイコンとする経済成長に自らを捧げつつも恩恵を受けない東北。父親自身も東北も今も変わっていない。でも自分で生きてきた意地がある。そして旅に出る。あの時の記憶をたどりに。当初希望していたハワイでなく下北に。

私も数年前に、父を連れて家族でかつて住んだ福島に行った。父は酪農を学び、理想の牧場を作るプロジェクトに参加した。その後、政治がらみの経営不安があり、私が小学生になったころ東京に戻った。その後も酪農に関わり続け、著した専門書で当時の現場のつらさ楽しさに触れ、夜が明けぬうちの牛の世話を懐かしんでいた。

仕事を引退し、心身ともに弱ったころに福島に行きたいと言い出した。行きしなの父は小説そのままに不機嫌だしどこかに行っちゃうし弁当むせるしてんやわんや。もっとリアルな出来事は小説にしないとかけない。

現地に着くと昔の先輩の墓に参ったあと仲間たちが牧場に集まってくれてBBQを楽しむ。牧草が皆黒いビニールで包まれて積み上がってるのに気づく。なにゆえ?牧草はぜんぶアメリカからの輸入であるという。野外で乾かす牧草は放射線で汚れて使えない。横の野原は薄黄色の花で覆われている。牧草と一緒に紛れ込んだ外来種が一気に繁殖した。一気に現実に戻された。ここは地震後の福島。父の青春の地だけに留まってくれない。自家栽培の野菜も自宅に備えた放射線検査ボックスで調べてから食べるそうだ。私はリアルな実状に感傷的になったが、父は酪農家の姿を取り戻したように見えて、口は回らないながらもなにやら専門的なことを話していた。確かにこの世界に生きていた。今も身体は元気です。

閑話休題。

短い小説に戦後の日本の大河がある。いや大河になる前の無数の源流が。無理矢理大河にしたてられる前の小さな渓流のような生き様がある。岩の間をぬって勢いよく流れるが大きな気候変動には翻弄される。大きな歴史の小さな一片。でもたしかにつながってる。もしやカバー裏面の彩色は表にはでない人生の彩りを暗喩してたりして。

この小説は2010年に書かれた。つまり地震の前である。中央と地方についてのテーマについて地震前に意識できていたかというと自信がない。単行本として今出されるのは世の中の意識が高まったゆえか、いやもうすでに風化しつつあるからか?風化に関しては同録の「突風」に目を開かされた。突風が吹いてから気づく。いつも。

そうだ父の見舞いに行かなきゃ。

以上

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つながり社会と監視社会

コンビニATMの防犯カメラの話は昨日書きましたが金を取られちゃった話はさておき、どこでも監視されてると言う事実に驚きました。実録:警察24時 カメラが見てるその瞬間

しかも警官が頼んだらすぐ見せちゃう。ATMに監視カメラがあるのは当然だと思うかもしれませんが、ほかにカメラがどこにあるか、こちらにはわからないのです。しかもATMならば個人のキャッシュカード情報やチケット購入状況などいろいろなところにつながりがわかるわけです。顔認証等とセットにすればいくらでも個人の特定ができますし検索だって思いのままです。

なんでこんなことを考えちゃうかといいますとついこないだスノーデンの本を読んだのです。「暴露 スノーデンが私に託したファイル」中学生の息子に頼まれて購入した本ですが私自身はは正直馬鹿にして読んではいませんでした。

ところが先日この本を映画化した
「スノーデン」

と言う作品を見て衝撃を読まねばならないと感じたのです。
CIAやNSAに勤務していた彼はアメリカ政府が個人の莫大な情報監視していることを知ったのです。Google、アップル、アマゾン、Facebookみんな協力してファイルを出しています。それを恣意的に利用できる体制が既にあります。

アメリカが中国の市民監視について批判し中国ネット企業がアメリカに進出することを声高に異議を唱えています。それは中国政府がアメリカ市民を監視することがことを恐れているわけではなくアメリカ政府自体が中国企業の情報を入手できない、つまりはアメリカ政府がアメリカ市民監視が行き届かないことに対して懸念を抱いているのです。ああ怖い。

アメリカ政府は同盟国とは緊密に連携をとりながら監視を進めています。もちろん日本も。そんな背景があっての共謀罪なわけです。PCもスマホモみんなネットにつながって、みんなカメラが付いている。GPSがついている。個人情報も詰まっている。それがマイナンバーとは日にもついてうんたらかんたら。まぁそんなこと言いつつも毎日Facebookに個人情報をあげている私。

皆さんもこの本を一度読んでみてください。明らかにされる事実の衝撃もさることながらこのジャーナリストのストーリーテリング手法もなかなかのものですよ。読ませます。

この本の邦題は「暴露」となっておりますが現代のほうは”No place to hide” 「隠れきれない」と読めば、どこにいても監視されてくる社会の表してる。「隠し切れない」と読めばアメリカ政府の大陰謀か隠しきれずに露呈すると言う意味にも読める。なかなかよい題名ですね。

以上

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リオに想う 「蒼氓」としてでなく飛びたい

リオオリンピックを機に読書会のテーマに挙がったのがブラジル移民を描いた小説でした。
「蒼氓」(第一部) 石川達三著 秋田魁新報社

石川達三を読むのは初めてです。
高校受験の頃、塾の講師(学生アルバイト)が一番好きな作家だと「青春の蹉跌」を紹介してくれました。中学生の私は、なんて古臭くダサい題名なんだと読もうとしませんでした。青春?ぷっ。蹉跌?ダサっ。てな感じ。おそらく蹉跌ってのは辞書ひいたと思います。時は1985年、浮かれたニッポンへ始動を始めた頃です。

蒼氓は大きな歴史の流れを背景にもち、個々の心理を描写しつつ社会事情を映しており、さすがは大作家の片鱗を出していると思いました。当時石川達三は30歳。

ブラジル移民は農村の貧困問題緩和の国策で行われたわけですが、ブラジル側にも当然需要がありました。19世紀末に世界に先駆けて奴隷が解放され、アフリカ出身労働力を失った。代わりに来たイタリア移民はちゃらんぽらんでさっさと農園を去った。で勤勉な日本人の出番。しかも逃げないように家族連れで移民させた。

家族連れゆえにしがらみや葛藤が生じそれが小説の肝になっていますが私に引っかかったのは家族を連れて移民する孫市と徴兵のくだり。

日本農村の実情に限界を感じ、姉を偽装結婚させてまで補助金目当てに家族を作り、やっと手にしたブラジル雄飛への切符でした。日本社会のしがらみを抜けようとする意志と行動力を持つ彼にしても、移民に出るのは徴兵から「逃げたんだろ」との一言でぐらぐら揺れる。お国への忠義という固定観念が頭を離れない。海を渡り拭いさるはずの日本の、その一番の因習が頭に絡みつく。事実としては国を出るわけですが、観念は振り払えない。同じ意志を共有しともに渡航する人びとの狭いコミュニティにおいてすら旧態依然の行動パターンをなぞってみせる必要がある。つまり忠義はあるが誤解をされるのであればそれを解くために移民を取り止める。そしてその年の徴兵検査を受けると。そのの決断に際しては、半ばおのれを犠牲にしてついてきた姉や家族の事情は二の次となる。己の汚名を晴らすため。そこまで強い江戸明治と続く精神的しばり。揺れる想いは政府の意を受けた移民斡旋会社の助監督の、これもみずからの保身のみ考えた甘言つまり移民を大過なく送り届けるという目的の言葉にすがるように言い訳を探す。そして請われる形で船に乗る決意を新たにする。人間の弱さと小賢しさをあからさまにする筆致が鋭く光ります。

現代においてすら日本人は忠義の呪縛から解放されてはいない。対象が国家から企業に変わっただけである。しかも国家は国家でまた先祖がえりを目論んでる。平成もまもなく変わるかという現代ですらいったん社会関係に組み込まれると自由な意志を貫くのは難しいのです。昭和初期の農村出身者にとって海外移民は大きな決断が必要であり、ましてや家族とともにとなれば足枷はたくさん出てきます。たとえ当時の境遇がどんなに辛かろうが国を出る勇気を振るうことを尊敬します。貧農であっても、部落出身であっても、思想犯とされていても、ビジョンを描いて船に乗り込むことに感銘を受けます。そんな意志を持った人たちが船を待つ収容施設に集まったんです。たとえ「落ち葉の吹き溜まり」と揶揄されようとも。

私の曽祖父もブラジルに渡りました。移民としてではなく移民のための学校を建てるための視察です。長野県出身の教育者であった彼の周りにはブラジルに渡った移民が多かったのでしょう。親戚も渡りカソリック神父をしていたと聞きます。祖父が晩年にその足跡を辿りました。

石川達三がブラジルに行ったのは昭和5年であり、曽祖父は視察したのは昭和2年なので少し時期はずれますが時代背景は同じはず。大正デモクラシーが揺らぎはじめて昭和の戦争に向かっていく時代です。彼は夢を果たせずその3年後に若くして亡くなりましたが移民への憧れは私にも継がれています。

ブラジルに渡った日本人は勤勉ゆえに成功した人も多いといいますが、はじめはヨーロッパ出身の農場主(パトロン)が支配するプランテーションシステムの中に組み込まれていたわけであり、過酷な労働を奴隷亡き後に請け負う役回りでありました。現代で言うなら先進国の発展を支える資源を掘る鉱夫であったり、巨大工場で一日中シャツを縫製する工員のような立場であったわけです。それが資産家の富を増やした。一方移民を送り出す役人や斡旋業者はそれと知りつつ淡々と送り出したのです。

収容所から移民船に移りいよいよ出発という段に移民監督が言います。

「こんな大きな収容所を建てなきゃならんというのは、やっぱろ百姓が困っているからだろうなあ」「そうですよ。そりゃそうですよ」と小水が迎合して同じように建物を見上げた。P81

仮に同時代に生きており移民という選択肢があったら私も飛びついたことでしょう。ただ大きな流れの泡屑とならぬようアンテナを高く立ててのぞみたいですね。
以上

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キューバ イファ占いを体験してみたよ

承前

前回記事の続きです。

キューバはなんでもかんでもあっけらかん

キューバのイファ占い体験しました。

 

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